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2016年11月14日掲載 |
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②手づくりの仮装パレード
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ひょうたん山夢街道まつり パレード |
ひょうたん山夢街道まつりは、同実行委員会(有友新三郎委員長)が主催。実行委員会は、東大阪市が開催した「まちづくり意見交換会」で集まった有志メンバーを中心に、2015年に正式発足。B地域の歴史・文化資産を活かしたまちづくりを目指しています。今回は第2回目の開催です。 |

実行委員会 有友新三郎委員長 |
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古の東高野街道をゆく牛車をイメージ |
パレードは、瓢箪山商店街を練り歩きました。この道路は国道170号線。日本に二ヵ所しかない国道商店街。アーケードのかかる国道は非常に珍しいものです。この道は古代から東高野街道や京道(きょうみち)と呼ばれ、京と高野山の往来で栄えます。その昔、貴族たちが牛車に揺られながら通りました。 |
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また、この道は大阪最古の道として知られています。原始・古代に、広大な河内湖と生駒山にはさまれた水際(みずぎわ)の道として利用されたと考えられます。道沿いに縄文遺跡や史跡が点在しています。 |

2世紀~4世紀ごろの想像図 赤い線は水際の道をあらわす |
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中世、近世には、商業活動が盛んとなり、人々の往来が一層激しくなります。天下を争う武将達もこの街道を通りました。南北朝時代の楠木正成・正行父子や、戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、今脚光を浴びている真田幸村(信繁)も通っています。 |

ダンボール甲冑で武将に扮した若者たち |
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ひょうたん山夢街道まつり実行委員会制作 クリック:拡大 |
瓢箪山周辺は、古代の河内國河内郡の郡衙※が置かれた中心地。国史跡「河内寺廃寺跡」もあり、まさにこの道は、縄文から今にいたる歴史街道と呼ぶにふさわしいところです。
※郡衙(ぐんが=郡を治める役所) |
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パレードは自分たちで作り上げるのがモットー。ダンボールでつくった甲冑や、手づくりの牛車など、工夫を凝らしたコスチュームで道行く人々や買い物客に歴史をアピールしました。 |
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②夢街道まつり特設舞台
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特設舞台の周りの踊りの輪 「瓢箪山音頭」 |
瓢箪山駅前では夢街道まつりの特設舞台が設けられています。舞台ではジャズ歌手や河内音頭の音頭取りが熱演。舞台の周りには踊りの輪とそれをとりまく人垣ができました。
まもなくして、子育て支援センター「あさひっこ」から出発したパレード隊が到着。大きな拍手で迎えられました。
実行委員会の有友新三郎委員長からは、まちづくりへの夢が語られました。 |

司会 「ゆとりもよう」西田順子さん |
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挨拶の野田義和東大阪市長 |
このイベントには野田義和東大阪市長や川光英士市議会議長も駆けつけました。
挨拶では、まちづくりの意義を訴え、関係者の労をねぎらいました。 |
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舞台横には、甲冑をつけて記念撮影ができるコーナーが設けられています。親子連れが、入れ替わり立ち替わりカメラをかまえる、ほほえましい光景が見られました。 |

甲冑を着て記念撮影! |
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ユキ & ミノル ステージ |
舞台では、小阪ジャズで活躍するユキ&ミノルのライブステージがおこなわれました。駅前はジャズの歌声で雰囲気が盛り上がります。二人の結婚の報告には、祝福の拍手がおきていました。 |
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③地元の力に支えられ
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大阪経済法科大学深瀬ゼミ 一回生 |

大阪府立枚岡樟風高校生 瓢箪山戦隊ショウフウジャー |
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ひょうたん山夢街道まつりのイベントは多くの団体、個人の力によって支えられています。商店街はもちろんのこと、地元で活動する芸能団体も参加してイベントを盛り上げています。その中でも、若者たちの参加は心強いものです。 |

大阪商業大学ボランティアサークル |
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勇士会 瓢箪山音頭保存会 |

正調 河内音頭保存会 |
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壱の集い・美咲会 |
地域の歴史・文化遺産は宝物。しかし、ともすれば「灯台下暗し」で、地元の人がその価値に無頓着になりがちです。ひょうたん山夢街道まつりの取り組みが、土地の値打ちを人々に再発見してもらうきっかけとなることが期待されます。実行委員会の奮闘に敬意を表します。 |
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時代屋一座 ひょっとこ踊り |

時代屋一座 どじょうすくい |
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④<動画> ひょうたん山夢街道まつり
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ルポ Y・川口、F・村上、イチロー・S、楢よしき 校正:駒
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